寝床で考えた
きのう書いた「アマルコルド」のことですが、寝ながらつらつら思い返してみたのです。「ストーリーらしきものはない」なんて書きましたが、ちゃんとありましたね。
1930年代のイタリアの小さな町、青年になろうとする彼がまあ主人公なんでしょうね。フェリーニは1920年生まれだから、ちょうど年が合います。彼の身の回りの出来事を切り取って映像化していたんだなあと、寝ながら思いました。
世の中はこれからファシズムに向かおうとしている時期です。それに迎合できない不器用な父親や、亡くなった母親のこと、憧れの女性が最後は憲兵と結婚して町を去っていったこと、説明を省いたまま深追いせずに繰り広げられていくこれらのことが重なり合って、見る者に感傷的でもなく、わりと淡々とした独特な感覚を残したんだろうな、と思ったわけです。
フェリーニがフェリーニであるゆえんは、こういうさりげなさにあるんでしょうか。よくいう、サウダージみたいな風情? …と、ちょっとエセ評論家風に書いてみました。(「道」はそんなにさりげなくはなかったような気もしますが。)
ちなみに「アマルコルド」の意味は、イタリアのフェリーニの故郷ので「私は覚えている」という意味の言葉だそうです。
【今日の1曲】
きのうに引き続き、ブルース・コバーンの"Salt, sun and time"から“Rouler Sa Bosse"(日本版タイトルは「さすらい」)です。
この曲を聴いて感じるものが郷愁なんでしょうか。今もあい変わらず好きです。