テレビと新聞から
ので、オレの脳内録画だけでの記録になるんだが。
デモについて。「いままでの日本では過剰なまでにデモに対して警察が反応し過ぎてきた(=警察
権力が力をふるってきた)。なにしろデモに参加する人よりも警察の人数のほうが多いという異様な対応。
メディアも憲法で保障された当然の権利であるべきデモに参加するのは、まるで普通の市民とは違う
異端な人間であるかのような報道をしてきた」と。そうなんだよなあ、原発反対の運動もそうだけど、
こういう主張をする人は、善良な市民じゃないような、そう、普通じゃないかのような演出をされて
しまってるんだよなあ。思ってはいたけど、その思っていた以上に「権力」ってのは市民を操作して
きたんだよなあ。
「たくさんの国のデモに参加してきたが、こんな国はどこにもなかった」。目加田さん、今日はこれだけは
言うぞと、決意をしてきたように思えた。オレは思わずテレビのこちら側で拍手を送った。そう
なんだ、よくぞ言ってくれた。
最近ようやく慣れ親しんできた東京新聞、今日のコラム「時代を読む」の『金融が乗っ取る世界
アラブの春)を俯瞰して見ている。弱者が声を上げることに対し、彼は共感をもって見ているという
ことのようだ。中公新書が出るらしい。読んでみるかな。
話は急に変わって
棚をごそごそやっていたら、こんなのが出てきた。ギルバート・オサリバンの帽子か?
本当はボトルの「キャップ」。
今日の庭。
よく飛んでいる姿を見ていたんだけどな(同じ蝶かはわからねど)。
ひょっとしてオレんちで生まれて、オレんちで死んだっていうことか?