お茶を作ってみました
何日か前の晴れた日、わが家に1本しかないお茶の木の、新芽を摘んでお茶を作ってみました。
まずは茶摘み。これだけでちょうど100グラムありました。1芯2葉(つい最近知った言葉です。芯のほかに若葉2枚)は高級茶らしいので、1芯3葉程度で摘みました(けっこういい加減)。
摘んだ葉を陰干しで1時間くらい放置。参考にしたサイト
によると少し発酵するとか。今回ざっと洗ってしまいましたが、本当は洗わないほうがよかったのかもしれません。
キッチンペーパーを敷いた上にお茶をのせて3分間電子レンジでチン。
ざるの上でよく揉んだら、ほぐした茶葉を再びレンジで2分チンして揉む…というのを「3回繰り返す」んだそうですが、1回でもけっこうパリパリになってしまいました。というわけで、そのあとはチンの時間と回数は「適当」。
それでもお茶らしきものが30グラムできました。
味・香りともに最高! とまではいきませんが、おいしいお茶になりました。
器が新茶を引き立ててます(笑)。
茶摘み前に撮ればよかったんですが、これは茶摘み後のお茶の木です。2番茶も採れそうです。
ハツカダイコンの赤があまりきれいなので撮ってみました。自然の赤はウツクシイ。
今日はフェラ・クティのZombieというアルバムをダウンロードしました。TBSラジオの「生活は踊る」(初回から聞いてます。ジェーン・スーはいいですね)で、きのうヨシ君が紹介してくれたんですが、1回聞いて好きになりました。CDはいいのがなかったのでiTunesで買いました。
名前だけは知っていたんですが、アフロビートというくくりのなかでサラッと通り過ぎてしまっていました。今回聞いたらストンと入ってきちゃいました。これから何枚か聴き倒すのが楽しみです。
気持ちだけはコロナから遠く…
あまり長いことブログを書いていなかったので、たまった写真のトップはなんと雪景色です。3月29日はまだ季節外れですが、雪が降ったのです。
といってもその4日後。一面の麦の波です。アリスン・アトリーの『むぎばたけ』をいつも思い出します。
これも恒例の近所の桜。夕方月が出ていました。
フキ食べました。うちのフキは特別うまいです。微妙な味わいがあります。
ルッコラはサラダで食べてます。花も食べちゃう。
サンショの若葉はとげに刺されながら集めて佃煮にしました。くせになります。
ハツカダイコンをまきました。間引いたのはみそマヨ(マヨ少な目)で食べます。ピリ辛でうまいです。
食い物の話ばかりになったので、雲でもどうぞ。
今、名前を調べました。アメリカフウロソウらしいです。形が面白いので撮ってみました。寂しいヤシの木みたいでいいでしょ。
どこがいいんだ? という人もいるでしょうが。ノゲシです。コンクリートのすきまから健気に生えているところがいいんです。
本日はトゥーツ・シールマンスの『コラージュ』を聞きながら書いてみました。コロナで世界が一変したように思えますが、自然は変わらずどっしりとしています。
じゃあ花の写真でも…
スモモ(剪定しすぎたけど)
アンズの花と奥は柿
これもスモモ
ノゲシ(絵本作家の甲斐信枝さんが好きだというのはこの花です)
近頃のわが家の朝は、テレビ朝日、羽鳥君のモーニングショーのウンチ岡田(うちではこう呼んでいる)先生の講評(眼鏡をやめた、あっ髪を束ねたとか、今日のワンピースはムーミン柄だ、今日は化粧のノリがいいというようなどうでもいいことばかり)から始まります。
なんでウンチ岡田と呼ぶかというと、いつだったか排泄の話の時に「便」じゃなくて「ウンチ」と言ったのが学者らしくなくてわが家で妙に受けてしまったのですな。以来、先生は尊敬の念もすこーし入った「ウンチ岡田」との愛称で呼ばれることになりました。
世間的にはコロナ騒ぎが加速しつつある今ですが、わが家的にもこの1カ月でいろいろなことが続きました。コロナも大変だけど、こっちも大変というような。プライバシーの問題もあるので深入りはできませんが、まあそんななか親としても(?)比較的淡々と(ここが難しい)こなしてきたかなという感じです。
東京方面は大変そうですが、このあたりではまだ買い占めとかはないのかな? と言ってもわが家はほとんど2つの生協だけで日常の買い物を済ませているので、世間の流れははっきりとはつかめていないかもしれませんが。マスクと消毒用アルコール(トイレ掃除用のアルコールは買えました)以外は、今のところ欠品はなさそうです。この先はわかりませんが。
コロナに対してはこれと言った確固たる意見はないんですが、それも身辺に患者さんをみていないからなんでしょう。ニュースではいろいろ聞きますが、リアルにかかった人のことが聞こえてこないので、いまひとつ他人事になってしまうんですかね。羽鳥君の番組だけ見てると「大変なことになってる」感が漂うんですが、テレビのスイッチを切るともう現実感がなくなってしまいます。そんななかで「外出自粛」とか言われてもみんなピンとこないんでしょうね。
来週になっても同じ感想でいられるかどうか、もっと先になってもこんな危機感のない調子でいられるのかどうかは全くわかりませんが、あの時は取り越し苦労だったというあたりでなんとか着地したいものです。
ここでおまけと言っては何ですが、去年は「ベイルート」というこのグループを知って以来、ずっと聞いていました。ベイルートのザック・コンドンの才能の豊かさといったらすごいなと思います。世界観、作詞・作曲の能力にプロデュース力、演奏する楽器の幅広さ、声もいい。自分ももう少し若かったらなあと何度思わされたことか。
ああ、フリューゲルホーンがほしい。
生活を続ける
いつもどおり…にはいかないかもしれないけれど、やっぱりいつもどおり。生活は続く、です。
赤城山遠景
家のマンサクは色の地味なシナマンサクです。色がよくない分、かわいさもひとしおです。春、いちばん先に咲く花です。
夕方の散歩で。バックネット越しの夕焼けです。
サンシュユもかわいい花をつけました。
長さ70cmくらいの陶板を作っています。
RIKIは昔からずっと、「洗濯物を干して、取りこんで、収納する」係です。
この日はとにかく「洗濯物を撮るのにいい日」でした。
2月22日付朝日新聞の「多事奏論 隠される情報 声をあげなければウソは続く」(編集委員 吉岡桂子さん)の記事から一部抜粋
「《我々は彼らのウソを知っている
彼らも 彼ら自身がウソをついていることを知っている
彼らは 我々が彼らのウソを知っていることを知っている
我々も知っている 彼らは我々が彼らのウソを知ることを知っていることを
それでも彼らはウソをつき続ける》」
(ソルジェーニーツィンの詩とされているが確かではないとのこと)
「文書が気楽に消えてしまう国では、経験の英知も気軽に崩れる。ともに声をあげなければ、それはウソだと言わなければ、彼らはウソをつき続けられる。事実とウソの境界が溶けたとき、不信は連鎖し、社会は不安に陥る。
私は声をあげるひとりでありたい。」
文書が気楽に消えてしまう国では、経験の英知も気軽に崩れる。ともに声をあげなければ、それはウソだと言わなければ、彼らはウソをつき続けられる。事実とウソの境界が溶けたとき、不信は連鎖し、社会は不安に陥る。
私は声をあげるひとりでありたい。
文書が気楽に消えてしまう国では、経験の英知も気軽に崩れる。ともに声をあげなければ、それはウソだと言わなければ、彼らはウソをつき続けられる。事実とウソの境界が溶けたとき、不信は連鎖し、社会は不安に陥る。
私は声をあげるひとりでありたい。
文書が気楽に消えてしまう国では、経験の英知も気軽に崩れる。ともに声をあげなければ、それはウソだと言わなければ、彼らはウソをつき続けられる。事実とウソの境界が溶けたとき、不信は連鎖し、社会は不安に陥る。
私は声をあげるひとりでありたい。
文書が気楽に消えてしまう国では、経験の英知も気軽に崩れる。ともに声をあげなければ、それはウソだと言わなければ、彼らはウソをつき続けられる。事実とウソの境界が溶けたとき、不信は連鎖し、社会は不安に陥る。
私は声をあげるひとりでありたい。
RIKIは、連帯を表明します。
昔の自分が懐かしかったよ
たまに聞いている山下達郎の東京FM「サンデーソングブック」で、「ウォーカーブラザーズを3週連続で特集する」と知ったので、3週続けて聞いてみました。Jackieあたりまでは中学・高校くらいだったかよく聞いていました。でも、そのあと頭はギンギンロックの方へ行ってしまったので、そのあとスコット・ウォーカーからは離れてしまっていました。
あれから50年。久しぶりに聞いて、「俺はずいぶんウォーカーブラザーズにというかスコット・ウォーカーが好きだったんだなあ」と気がつきました。ウォーカーブラザーズといえば「太陽はもう輝かない」(邦題)でした。バカラックの「Make it easy on yourself」を聞いて、「ああ、バカラックもやっていたんだ」とぐっときました。それと、忘れもしない「Walking in the rain」。Joannaを聞いたのは深夜放送を聞き始めたころですが、冬の夜これがかかると部屋の中が暖かくなったような気がしたものです。
フィルスペクター・サウンドか。確かにそうだよな。
俺が夢中になったそのあとで、ちょっとアバンギャルドの方に行ってしまったのは知りませんでした。この特集のおかげで、ベスト盤を1枚買いました。しばらく聞き続けています。
ザ・ウォーカー・ブラザーズ/太陽はもう輝かないThe Sun Ain't Gonna Shine Anymore (1966年)
講演会が無事終わりました
土屋文明記念文学館での講演会が、終わりました。どんな形でもいいと言われたので、いわゆるポエトリーリーディングというやつですか、音楽をかけながら自作の詩を読んで解説するというのをやってみました。
狭すぎる演台にマイクと水とCDラジカセを置いて、さらに原稿と詩を並べて読み始めましたが、メガネがよく見えず(右が近視で左が遠視、そこに老眼が加わっているので目を動かすとすぐに見えなくなります)読んでいる途中から原稿がゴチャゴチャになり…。最後はとうとう原稿が見つからなくなって、しばらくBGMのみ流れ焦りました。自分では長く感じましたが、聞いてた方はさほどには感じなかったそうです。
何はともあれ、用意していったものは全部読みおえました。20分の予定でしたが30分になりました。
選んだBGMが案外よかったようで(詩よりもかい!)、最後に曲名を聞かれました。ここに書いておきます。
1.ドン・ペリス: Old Century(2013、“The Old Century”から)
2.アリ・ファルカ・トゥーレ&トゥマニ・ジャバテ:Kaira(2005、“In the heart of the moon”から)
3.グレン・グールド:(最初と最後の)アリア(1982、“バッハ ゴールドベルク変奏曲”から)
4.コールド スウェット:It's a man's world(1989、“コールド スウェットプレイズJ.B.”から)
選曲が自分の納得のいくものだったので、詩も気持ちよく読むことができました。好きな曲ばかりなので、あまり入れ込まないように気をつけました。残念だったのは、会場が乾燥していて(緊張のせいで?)喉がくっついて読みにくかったところです。次回はもうちょっとうまくやれそうな気がします。まあ機会があればの話ですが。
アジカンの後藤君がポエトリーリーディングにやっぱりはまったって言うのを新聞のコラムで書いてたけど、わかる気がしました。できるなら俺も自分の作った曲でやってみたい。
いやだいやだと思っていた「講演会」でしたが、たくさんの人がまじめに自分の言うことを聞いてくれる経験はいいもんだなと終わってみたら思いました。聞きたい人は声をかけてください。同じ演目ならやれますんで(笑)。
大寒ジョー・パス
今日は大寒でしたが、けっこう暖かい日になりました。
先週水簸した楢灰です。上水が茶色く透き通っています。だいぶ灰汁(アルカリ分)が溶け出してきたので、今日はこの上水を捨てて新しい水に入れ替えました。
こちらは藁の灰です。いままでは、ずっと前に昔の畳を燃やして作っておいた自前の藁灰を使っていたのですが、とうとう手持ちがなくなってしまったので、初めて買ってきました。10キロ買ったんですが、少し湿っているような気がするので、日に当てて乾かしています。
どの程度灰汁抜きしてあるのか、細かさはどのくらいなのか新しい灰なので使い勝手がわかりません。材料が変わるとまた最初から試行錯誤の繰り返しです。実験用の窯を持っていないので、この辺が面倒なところです。
【RIKI舎:今日の1枚】
藁灰釉の湯飲みです。夕食後のお茶を飲みながら撮ったので少し暗く写っていますが、現物はもっと明るい色です。手触りも気持ちが良くて優しい色合いで、まさに自然の釉薬だなあと思います。隣の小皿は粉引きです。
自分で無農薬でコメを作り、その藁から灰を取って釉薬が作れたらまさに理想です。
大寒の夜を、ジョー・パスの「Unforgetable」を聞きながらすごしています。全部アコースティックの1枚です。毎年大寒の夜はこれを聞くと決めてもいいなあ。